初代会長
 黒川 録朗

1909(明治42)〜1982(昭和57


ゆたかな頬、大きな耳。世にいう福相の人であった。
 高砂市北浜町の出身。
  地元小学校で教わった教師にシルクロード物語をきき、胸躍らせる。姫路師範学校を出て姫路城巽小学校につとめた。絵がうまくて歌が好きな先生という評判をとった。
  8年勤めた教師をやめ、山崎町の小林謙一、龍野の内海繁と3人で共同経営の三松株式会社を創業。やがて太平洋戦争が始まり、弟2人が戦死してしまう。戦災で三松の2店も全焼、三松グリルを戦後は単独で経営、また神戸でノーリツを共同で創業し副社長となった。

姫路みゆき通の三松グリルが、阿部知二を中心に結成された城ペンクラブの事務所になったことから、グリル階上で文学教室が開かれる。それが発端になって、文学、文化関係者の出入りが多くなっていく。

一方、琴陵中学PTA会長をつとめ、後には兵庫県、近畿PTA会長に選ばれ、寄附団体化したPTAをほんらいの教育活動にもどす改革運動を展開、雑誌『世界』で論陣を張った。朝日新聞「ひと」欄に時の人として紹介されたりテレビ出演で訴えた。

作家椎名麟三が郷土の文化振興のためにミュージカル「姫山物語」を企画、協力要請されると制作協議会を結成して会長となる。この公演は市始まって以来、アマチュア公演では記録破りの9千人観客動員をして話題をよんだ。

その翌年もほぼ同規模の再演を果した。これにより姫路地方文化団体連合協議会(姫路文連)が結成され、会長に就任する。

 その後も、公害反対運動組織「いのちを守る会」会長、姫路空襲の体験談をまとめた『姫路空爆の記録』を発行し、姫路空襲を語りつぐ会々長など、その時々の市民のリーダーとして指導力を発揮した。

 最後の仕事は、少年時代に芽生えたシルクロードへの旅だった。天山会を作り、旅のつど講演をやってその普及につとめた。

                        記 市川宏三


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