しょう
玉岡 松一郎

 
1913(大正2)〜1995(平成7

加古川市寺家町出身。
 裕福な呉服卸商の一人息子として育った玉岡は、父が俳人だったこともあり、旧制姫高で俳句会に所属。また柳田国男の民俗学に影響されて、京大生になった頃は実践活動に踏み込む。とくに方言採集に力をそそいだ。

 折からの日中戦争で戦場に赴くが、病患を得て帰国。軍需関係の職に就くが、俳句・短歌・詩と幅広く旺盛な創作活動をやり、それは戦後へと続く。

  姫路文学会創立に参加して主として詩を発表する。「姫路文学」休刊中も独自に創作し、かたわら郷土史にもかかわった。姫路文学人会議では副会長、会長を歴任する。詩集『姫路叙情』『わが仇官僚』はじめ短歌・俳句・民俗学などの著作は数十点に及び、その博学ぶりと積極的な活動は、地方では類をみないほどである。また音楽好きで、京大経済学部では合唱団に所属していた。夢は加古川に文化資料館を建てることであったが―。


                         記 市川宏三