工 正勝


  柳井悦子さんの「のじぎくに埋もれた工さん」より抜粋

        前略

 大正十四年の秋。牧野博士が大塩を訪ねられました。其れまで土地の人は「ノギク」と呼んで雑草の一つぐらいにしか思っていなかったのです。「のじぎく」という学問名になったのはその時でした。正勝少年は当時神戸二中の一年生でした。子供の頃から植物好きが手伝い、この時、牧野博士に同行しました。高名な植物学者牧野富太郎博士に従っていった正勝さんの胸のさわぎはどんなものであったことでしょう。

        中略

 太平洋戦争突入の前、のじぎく群生地は次々に開墾され、大根や菜っ葉畑になっていきました。野地菊が消えてしまう・・。心配した正勝さんは自宅の裏の二百坪あまりに品種分けして植えました。戦後、沖縄のひめゆりの塔にも種を送ったのですが、それが今も咲いているようです。黄や淡紅の野地菊が現在まで残っているのは正勝さんのお陰だと土地の人は言っています。

        中略

 工さんは赤い野地菊を探していました。牧野博士に菊の原種が野地菊だという証明には赤い花の発見が必要だと言われたのです。毎年山野を巡って正勝さんは赤い花を探し求めました。苦労の末赤い野地菊は見つかりましたが、博士はその前年、世を去っていました。花は博士の墓前に供えられました。

        後略