1910(明治43)〜2000(平成12)
神崎郡大河内町(現・神河町)出身、本名利左衛門。
京都在住の1928年頃より、真道黎明の手ほどきを受け日本画を習う。終戦を境に郷里に帰った。’46年(昭和21年)の第一回姫路市展に出品、日本画部門で姫路市長賞受賞。それ以後、各地方展に出品しては受賞を重ねる。
波の絵をかくために何日も浜辺で寝泊まりしたり、各地を転々と歩いて構想をねったりする。
「絵には人柄が出る。品のよい絵をかきたい。あなた方もお茶や生け花など勉強して自分を磨きなさい、感性を高めなさい。それが絵にも出てきますから」と常々弟子たちに説いていた。
自作の精進と共に大河内町や姫路各所でこまめに指導に当たる。一方的な説教でなく、個々の人の悩みをよく聞き助言していくタイプの指導者だった。
小柄な体にベレーをかむり、親しみにあふれた目差し。たれからも愛される老教師であった。
記 長谷川善太郎
|