沖塩 徹也

 戦後の播磨文芸界に大きな足跡を残した沖塩徹也は、文学を愛し、生涯文学の道を生きぬいた人といえよう。

その萌芽は早稲田大学文学部在学中から顕著なものがあった。郷里の先輩作家阿部知二の推薦を受け、その頃文芸誌の雄だった『早稲田文学』に、将来を嘱望される新人として小説を発表している。

 第二次大戦に召集され、7年にわたる兵役に縛られたが、中国大陸の戦場でも詩魂を抑えきれず、内地へ詩を送り続けたという。

無事復員を果たした沖塩はただちに上京、「文学は東京にいてやるもの」と決め、作家への道を歩みはじめる。だが郷里の家庭の事情があって、やむなく姫路へ引きあげざるを得なかった。

 旧制姫路中学、旧制姫路高校の仲間と『姫路文学』を創刊したのも、そんな機縁からである。以後同誌の主幹として後輩の指導にも心を砕き、曲折に耐えながらその続刊に強い執念を燃やし続けた。

のち姫路文学館開設準備室長として開館の大任を果し、終生念願であった「地方文学の確立」に対する情熱は変わることがなかった。


                     記 井上久男