木村 真康

昭和20年、木村真康師は岸原広明、西部治男と共に文学圏を設立。

翌21年、文学圏第一号を出版された。当時は編集者によるガリ版刷りだった。用紙不足の為、年3、4回の出版だった。業者による活版印刷は第15号からである。

真康師は「私は短歌が好きだから作る」と常々言われていた。友人や弟子を大切にされ、心の広い方だった。当時辻川にあった、柳田生家が潰されるとの噂が流れた時、師はその存続に奔走された。文学圏の会員も幾許の寄付に応じた。今は木々を巡らす地に建て替えられ、福崎のシンボルともなっている。

昭和61年11月、姫路文連による「姫路文化賞」を受賞。退院直後の真康師は体力も弱っていられたが、柴田市子医師同道で出席された。師は皆の祝福の言葉を俯いて聞いていられた。

昭和63年文学圏11月号は「木村真康追悼号」昭和63年7月没とある。あの世からこの展示会を見ていられるだろう。

                     記 岩朝(いわさ)加都良(かつら)