寶谷 叡


大正8年 神崎郡市川町に生まれる

昭和22年〜30年 週刊紙「新姫路新聞」編集長
        の
かたわら「姫路文学」同人

昭和32年 同人誌「城砦」創刊

昭和34年〜50年 姫路市役所広報
             教育委員会 勤務

平成元年 同人誌「播火」創刊

平成15年 没

著書

寶谷叡創作集(1
『寶谷叡創作集(2)』(谷村印刷)
『語り伝えん』(中央出版エージェント
『昭和源氏物語』(山野印刷)
『漢羅伽羅』(川柳集)


受賞 

姫路地方文化団体連
協議会「姫路文化賞」

  

 時には背広、時にスポーツシャツの、自在な行動人。戦後の姫路の文化を公私ともに中枢にあってリードした一人。時に、紬の羽織袴、白足袋、朴歯の下駄、ステッキの、飄々とした文士大人の風格。同人誌『城砦』『播火』を創刊した。その晩年は、魂を天にゆだね、無邪気な小鳥。数珠を首にかけて「ぼくのマドンナ」環夫人の掌の中で遊ぶ。

 まさに文学という魔物に魅入られ見果てぬ夢を追った人生であった。その書にいわく、「この播磨の文化の土壌は意外と広大で、心うつ文化人が多く輩出している。後続の私たちは先験的に影響を受けている。豊かなものを受け継ぎ、受け渡していかなければならない。その時に、若い人たちよ、一度は思ってみてほしい。幾多の無名の先人たちが、いかに悲運と不遇とおのれの力不足に泣いたかを。しかし彼らの野望と夢と情熱がいかに美しく壮大であったかを。そして勇敢に挑戦してほしい。刀折れ矢尽きるのが、生きる、ということなのだ」

                  記 柳谷郁子