受賞者プロフィール
姫路文化賞
かわしま   たかおみ
川島 隆臣(ギタリスト/作・編曲)
 ひきこもり気味であった少年時代、イラストを描きながら独学でギターを習得。16歳で舞台に立ち、18歳でスタジオミュージシャンの道に進む。20歳で上京し本格的に音楽活動を行う。23歳で帰郷し音楽活動を展開する中、25歳で「喫茶アンジー」を開店する。30歳の時、演奏活動を一時中断し、音響会社「アンジー」を設立。PA・録音の音響エンジニアを育てることを決意する。姫路の音楽活動を音響の面でもサポートし、何よりも後進の育成に力を注ぐ。
 その後(1995年)、18年の時を経て、ギタリストとして復帰、演奏活動を再開する。2010年、ギターとソプラノのユニット『諷雅』を結成し、関西を中心に全国でライブ活動を行う、2012年にラオスのルアンパバーンでのメコン川沿いゲリラライブは圧巻で、音楽に国境は無いと感じる瞬間を創り上げた。そして2014年、『諷雅』の初となるアルバムを発表する。
 また、作曲家・編曲家として、「夢ある姫路(まち)」の編曲、姫路市のゆるキャラ『しろまる姫』のイメージソングの作曲、黑田官兵衛のゆるキャラ『官兵衛君』や『ヤマサのさっちゃん』のCM曲等、数多く手がけている。音楽活動のライフスタイは、どの時代においても変わらない。音楽を愛し続けるその姿勢に、拍手と賞賛とを送ると共に、精力的な音楽家として活躍を期待している。


1956年(昭和31年)8月14日生 姫路市飾磨区都倉在住
略歴
1972年 姫路に生まれる
1973年 音楽仲間3組とたつの市民会館大ホールで自主コンサート
1974年 スタジオミュージシャンの道に進む
1976年 上京しニューミュージックを中心にアイドル系のレコーディング・コンサートに参加
1981年 姫路で「喫茶アンジー」を開店
1983年 音響会社「アンジー」を設立し、PA・録音の音響エンジニアを育成する
1997年
SUN-TVのTVレギュラーをきっかけに間の約18年のブランクを経て、ギター演奏家として再活動開始
2001年 自社録音スタジオ「アンジー・レコーディング・スタジオ」を建設 放送・演劇・報道などの制作の音源制作をはじめ、コンピューターを駆使した楽曲制作も開始
2008年 「ギャラリーとーく」で女優小林みね子氏とギターと朗読の会を活動開始
2009年 オリジナル・ソロギターアルバム「NORTHERN LIGHTS」発表
2010年 声楽家松本温子氏と演奏ユニット『諷雅(ふうが)』を結成「姫路城観月会花あかりコンサート」や東日本大震災支援イベント「TALK AID」活動を開始
2012年 現代美術作家山口謙二氏と「一音一絵(いちおんいちえ)」京都市「ギャラリーお寺ハウス(大善院本堂)」で絵画とギターのコラボレーションを開催
「ラオス国ルアンパバーン王宮博物館写真展」式典のため『諷雅』で渡航
ラオス国立劇場での演奏の他、文化交流として現代美術作家山口謙二氏と共に日本語学校でのミニコンサートやストリート演奏を敢行
2013年 『諷雅』ソロコンサートを姫路キャスパホールで開催
2014年 『諷雅』ファーストCDアルバム『FIRST COLLECTION』を発表

主な作品

・「播磨の武蔵」作/編曲 ・しろまるひめイメージソング「まんまるもちもち しろまるひめ」作/編曲・播磨の国総社の「三ツ山大祭」テーマ曲 編曲・「播磨のヒーローかんべえくん」「かんべえくん体操」作・編曲他多数



やまもと    まさや
山本 雅也(現代美術・写真)
  この人のどこにこのような情熱のマグマが潜んでいるのか。不思議なほど謙虚寡黙の人である。  
 しかし乳棒を握り乳鉢に色を作って練っている時こそが至福の時と言う画業は、誠実にして卓抜な技量とともに限りなく雄弁である。明朗な色の豊饒、静謐な色の旋律、希望に満ちた色の平和、命の讃歌は、幾重にも重なり合い終わりが無い。平面の紙面をどこまでもはみ出していく。しかも奥深く。  
 具体美術の小野田實に師事、22歳で受賞の第29回芦屋市展の佳作賞を皮切りに数々の受賞を果たしてきた。  
 一方、カメラを構える山本雅也は一転ドラマティックな物語作家だ。ひたすら自身の五感を信じてシャッターを切ると言いつつ、その目線はむしろ対象物の五感を的確に捉えて哲学的でさえある。絶妙のタイミング、アングル、レンズワークは、現実の一瞬をすなわち永遠の一瞬に変貌させて魂魄に迫り、観る者を釘付けにする。絵と写真は似て非なるもの、画家と写真家は両立し難いと考えられてきたが、人と機械の共同作業の醍醐味を見事に獲得している。  
 26歳で東芝姫路写真クラブに入会、写真家関本寿男に師事、全日本写真連盟会員となり、以来、関西本部展特選、アサヒカメラ年度賞4位、チェコスロバキア国際写真サロン入選、全日本写真展特選等。  
 本年開催の『山本雅也・現代美術と写真の世界展』では1437人の来館者を集めた。

1954年(昭和29年)8月21日生 姫路市野里上野町在住
略歴
1954年 赤穂市尾崎に生まれる
1973年 小野田 實(現代美術)に師事
1976年 第2回ネオ・アート展に参加、以降、第10回まで全展出品
1978年 第1回ジャパンエンバ美術コンクール出品(日本巡回・9会場)以降4回(買上) 5回、7回(エンバ中国近代美術館/芦屋・エンバ銀座文化ホール/東京)
1982年 第5回現代絵画展(宇部市文化会館)、第3回北九州ビエンナーレ展
1983年 第2回吉原治良美術コンクール展(大阪府立現代美術センター) 第16回現代美術展(東京都美術館・京都市美術館)
1984年
岐阜アンデパンダン・アート・フェスティバル20年後の動向展(岐阜県立美術館)
1987年 第13回日仏現代美術展(国立グランパレ美術館・東京都美術館他日本巡回)
1990年 全日本写真展 銀賞、1992年 銅賞
1991年 80年代絵画の一面(芦屋市立美術博物館)
2013年 第22回全日本アートサロン絵画大賞展 佳作賞、2014年 佳作賞
2014年 山本雅也/現代美術と写真の世界展2014(イーグレひめじ/姫路)

現在
   姫路美術協会運営委員長、全日本写真連盟 兵庫県本部副委員長 



文化功労賞
かんざわ   てるかず
神澤 輝和(地域文化)
 今、時の人。この人の名は知らなくとも『播州黒田武士の館』の存在を知らない人はいないだろう。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」実現の起点、原動力となった。
 官兵衛に惚れ込んだ情熱はついに退職金を擲ち、官兵衛四百回忌当日となる平成15年10月26日、自宅に館を開設、20代より調査収集した資料を展示して無料で開放するに至る。秀吉天下取りの推進力となった姫路生まれの姫路城主黒田官兵衛という誇るべき〈人的文化財〉の掘り起こしによって、ふるさと創生のみならず、未来へ、子どもたち若者たちに自信と勇気を、夢を、誇りを与えようと、平成18年3月には『播磨の黒田武士顕彰会』を設立。以来、事務局長として個性派揃いのメンバーを率い、今やお城祭りのメーンイベントとなった黒田武士パレード、ゆかりの地めぐり、講座、他地域との交流、会報の発行、そして大河ドラマの誘致活動、何よりも〈官兵衛哲学〉の開陳普及等、地道に間断なく活動を展開する。平成22年度初頭の文学館20周年特別展『黒田官兵衛の魅力展』にも主力として協力、大成功を収めている。
 来年平成27年には顕彰会設立10周年となる現在は会長兼事務局長。大河ドラマ実現を最初の一歩でしかないと心得る。実施してきた多彩な活動はすでに有意義、確かな実を結びつつあるが、加えて資料館の建設、コレクション購入の推進、銅像建立など、目標は限りなくある。


1941年(昭和16年)11月1日生 姫路市飾磨区妻鹿東海町在住
略歴
1941年 姫路市飾磨区妻鹿に生まれる     
永年船舶機器総合商社に勤務 
主に大型オイルタンカーの防爆装置等の製造販売に従事
1967年 妻鹿町・国府山城址にて、甲山教塚発見・『甲山教塚発堀の記録』出版
1969年 東京・旧筑前黒田藩主、黒田大名家を訪問。黒田家14代 故黒田長禮公に面会。以後15代故黒田長久公、当代16代黒田長高公と3代にわたり交わる。
1973年 赤松氏・妻鹿氏・黒田氏を繋げる『妻鹿城史』編纂
2003年 播州黒田武士の館・播磨灘漁具会館を開館
2005年 播磨の黒田武士顕彰会の設立に関わる。副会長・事務局長
2014年 播磨の黒田武士顕彰会 会長
現在 播州黒田武士の館・播磨灘漁具会館 館主(やかたぬし)     播磨の黒田武士顕彰会 会長


さかぐち    きりえ
坂口 キリヱ(工芸・赤穂段通)
みやざき   もといち
宮崎 素一  (工芸・赤穂段通)
 赤穂緞通は、鍋島緞通、堺緞通とともに日本三大緞通のひとつに数えられ、赤穂緞通の技法は赤穂市の無形文化財に指定されている。赤穂緞通は赤穂郡中村(現赤穂市中広)に住む児嶋なか氏が20年余の歳月をかけて開発し、明治7年に商品化した木綿の一畳敷を基本とする絨毯である。最盛期の明治後半期には織元8軒・年間産量1,800枚余・産額10,000円余を数え、主として京阪神の富裕層に流通した。昭和13年に日中戦争の影響を受け全ての織元は廃業。戦後は西田緞通が操業を再開、細々と機場を営んでいたが、当初織子は7名程度いたが次々と辞め、昭和57年以降は阪口キリヱ氏が唯一の織子となった。平成に入る頃には織子は僅かに1名、織元も高齢であり赤穂緞通の製作技術は絶えようとしていた。
 当時、赤穂市教育委員会生涯学習課文化財係長であった宮﨑素一氏はこの状況を憂慮して、職務の一環ではあるが、平成3年、赤穂市教育委員会主催の「赤穂緞通織り方技法講習会」開講に尽力し、唯一の赤穂緞通の織方技法の選定保存技術保持者の阪口キリヱ氏を講師に迎え、平成11年まで2期8年間に及ぶ講習で20数名の受講者が技術を継承し、現在30名程度が市内各所で赤穂緞通の製作を行っている。絶えようとしていた赤穂緞通の織り方技法の継承は阪口氏、宮崎氏なくしては行われ得なかった可能性が高く、お二人の功績は大きい。 


坂口 キリヱ     1921年(大正10年)1月22日生 赤穂市御崎在住
略歴
1921年 赤穂郡新浜村(現在赤穂市御崎)に生まれる
1932年 新浜村の福島緞通工場で緞通を織りはじめる
1937年 赤穂緞通織一人前となる
1940
 ~1945年
福島緞通工場(赤穂市御崎)で織る
1945
 ~1991年
西田緞通場(赤穂市御崎)で織る
1983年 赤穂緞通保存会副会長就任
表彰
1991年 赤穂市制施行40周年記念感謝状(永年の伝統文化振興)受賞
1992年 兵庫県ふるさと文化賞(伝統文化の保存・継承)受賞
2000年 赤穂市文化振興者賞(赤穂緞通の保存継承と後継者)受賞
2001年 赤穂市制施行50周年記念感謝状(永年の伝統文化振興)受賞
2004年 赤穂市文化賞(赤穂緞通の保存伝承と地場産業の振興)受賞
2010年 兵庫県「ともしびの賞」(伝統工芸技術の保存・継承)受賞
2011年 公益財団法人伝統文化活性化国民協会「地域文化伝統功労者」表彰


宮崎 素一      1950年(昭和25年)8月5日生 赤穂市尾崎在住
略歴
1950年 赤穂市に生まれる
1973年 龍谷大学文学部史学科卒業
1973年 赤穂市役所入所
1991年 赤穂市教育委員会生涯学習課文化財係長として「赤穂緞通織り方技法講習会」の開講に尽力する
2011年 赤穂市役所退職。赤穂市役所再任用(文化財整備推進専門員)
2014年 赤穂市役所嘱託員(有年考古館事業推進員)
主な論文
1986年 『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書Ⅲ』
2000年 「赤穂城跡の発掘と整備」『赤穂城絵図展』赤穂市立歴史博物館
2001年 「赤穂城」『城破りの考古学』吉川弘文館
2004年 「史跡を活用した市民が誇れる城づくり-赤穂城/旧赤穂城庭園」
『史跡整備の手引き』文化庁
2010年 「史跡と名勝庭園の保存と活用-赤穂城と旧城下町のまちづくりについて-」『遺跡学研究 日本遺跡会誌 第7号』日本遺跡学会
「赤穂城跡と旧赤穂城庭園の保存と活用~平成の城下町と連携して~」『平成21年度遺跡整備・活用研究集会報告書』独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所

赤穂緞通の織り方技法講習会を1991年(平成3年)より開催し、空前の灯で、 消えゆく運命であった赤穂緞通の復活再興に取り組み、30数名の後継者を育成 した。



江戸時代元禄期から、本多家お抱え福王流ワキ方能楽師として代々続く江崎家の12世として生まれ、今年7月に文化庁より重要無形文化財総合指定の認定を受けた。 姫路や近隣都市での薪能を始め国内では東京国立能楽堂や全国の能舞台に出演、海外公演にも参加。伝統を守りつつ、能楽教室等で、子どもたちをはじめ多くの人々へ、高いと思われがちな能楽の敷居を低くし門戸を広げようと変意欲的に取り組んでいる。  少年の頃から小学校教師になりたく、江戸時代からの世襲制の家に産まれた跡継ぎである事に葛藤し足掻いたこともあったが、能楽教室で能を普及することで教壇に立ち、見事に昇華。数多くの能舞台に立ち、自ら能楽を追求し、幅広い世代への能楽の普及に努める。今夏はインターネットのテレビ電話で利尻の小学生に能の授業を行った。能の解説は今では、本分のワキ方の次に得意分野としている。 来年には、12世江崎欽次朗を襲名。さらなるご活躍が期待される。
黒川録朗賞
いしの     よしひろ
石野 善浩(洋画)
 石野氏は、かつて、紙に塗った絵の具を洗い流し、残った色や形を組み合わせる手法で、独自の抽象世界を構築し、作品を制作していた。1つのテーマで500枚もの作品をつくり、その中から納得のいく作品を選んでいたが、ある時、切り捨てていた部分に意味を見出し、作品を新しく変化させた。後に、グラッシーという古典的な油彩画の技法で和の風景を描き、見る者の心を揺さぶるような山水図を創出するようになる。
 10年前に蛙と出会い、今ではカエルをテーマにした画を描き続けている。老若男女問わず、親しみやすい題材で、ユーモラスな印象のものから、見る者をにらみ返す緊張感のあるものまで。材料には、木炭・顔料・胡粉なども使い、日本画のような雰囲気も併せ持つ。画面いっぱいに描かれたカエルの中に山河があり、滝が流れ、月が巡り、循環する無限の宇宙が表現され、自然や地球からのメッセージが込められている。環境破壊に警鐘を鳴らし、時には震災の復興を祈り制作し、義援金の寄付や、チャリティーの展覧会への出品など、積極的に社会貢献活動にも参加している。また、各地で子供から大人までの講座を開き、暮らしの中での絵画の楽しみ方を教え、クラフトが育つよう「ひめじクラフト・アートフェア」などにも参加している。今後、ますます活躍が期待できる作家である。


1960年(昭和35年)6月10日生 加西市中西町在住
略歴
1960年 兵庫県加西市に生まれる
1983年 東京芸術大学油画科卒業後、同大学院壁画科に学ぶ
1990年より 個展を中心に発表を続ける
1995年 「第五回ARTBOX大賞展」(入賞)
1997年 「第16回伊豆美術祭絵画公募展」(優秀賞)
1999年 「第1回トリエンナーレ豊橋」(大賞)
2005年 「第22回天理ビエンナーレ」
2006年 「第1回ビエンナーレうしく」(佳作)
2012年 「日本の絵画2012」永井画廊など入賞多数

 近年は小さく身近な存在であるカエルをモチーフに絵画や版画のみならず、藍染作品にも展開し全国のクラフトフェアにも出展している。



 えさき    けいぞう
江崎 敬三(能楽)
 江戸時代元禄期から、本多家お抱え福王流ワキ方能楽師として代々続く江崎家の12世として生まれ、今年7月に文化庁より重要無形文化財総合指定の認定を受けた。
 姫路や近隣都市での薪能を始め国内では東京国立能楽堂や全国の能舞台に出演、海外公演にも参加。伝統を守りつつ、能楽教室等で、子どもたちをはじめ多くの人々へ、高いと思われがちな能楽の敷居を低くし門戸を広げようと変意欲的に取り組んでいる。  
 少年の頃から小学校教師になりたく、江戸時代からの世襲制の家に産まれた跡継ぎである事に葛藤し足掻いたこともあったが、能楽教室で能を普及することで教壇に立ち、見事に昇華。数多くの能舞台に立ち、自ら能楽を追求し、幅広い世代への能楽の普及に努める。今夏はインターネットのテレビ電話で利尻の小学生に能の授業を行った。能の解説は今では、本分のワキ方の次に得意分野としている。 来年には、12世江崎欽次朗を襲名。さらなるご活躍が期待される。


1973年(昭和48年)11月29日生 姫路市飯田在住
略歴
1973年 姫路市に生まれる
1981年 姫路城薪能においてワキ方の秘曲「羅生門」の源頼光役にて初舞台を勤める
1995年 龍谷大学在学中に大阪能楽養成会に入会し、本格的な修行を始める
1999年 大阪能楽養成会 卒業
2001年 10世江崎金治郎13回忌追善会にてワキ方の最奥義「張良(ちょうりょう)」を披く
2007年 「姫路こども能楽教室」を行い、次世代を担うこどもたちに能楽の普及に勤める
2014年 文化庁より国の重要無形文化財総合指定保持者に認定される
主な海外公演出演
2001年 スフィンクス薪能に出演
2002年 バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)能楽公演に出演
2009年 フィンランド・スウェーデン能楽公演に出演
2010年 スペイン・ポルトガル能楽公演に出演
能楽師 ワキ方福王流 能楽協会神戸支部 常議員


 でぐち    いくこ
出口 郁子(陶芸)
 現在の宍粟市山崎で生まれ、陶芸家を志し大阪芸術大学工芸学科陶芸コースに進み、卒業後一時期は教師として高校に勤務。
 退職後には「滋賀県陶芸の森」創作研修作家として本格的に創作活動に入った。伊丹市のクラフトパークにて後進の指導にあたり、「むべ陶房」を主宰し陶芸教室を姫路市で開く。
 近年では姫路市での発表も増え、より一層身近な作家として、作家生活を送っている。創作される作品は器からオブジェまで幅広く、その作品は球体に近い形に、きめ細かな描画が特徴的で、彩色された色と形態が程よくマッチし、オブジェ作品はどこかプリミティブで女性の感性を感じさせ独自の世界を創りだしている。
 また器でも両者共通した彼女自身の雰囲気をかもし出し、オブジェとの一体感があり、すばらしい器に仕上がり、色っぽさを感じさせる作品群はオリジナリティーあふれる魅力がいっぱいで、今後どのように展開するのか大変楽しみである。


1962年(昭和37年)1月13日生 姫路市山野井町 むべ陶房
略歴
1962年 宍粟市山崎町に生まれる
1983年 大阪芸術大学短期大学 デザイン美術科 卒業
1985年 阪芸術大学工芸学科 卒業
1993年 「滋賀県陶芸の森」・創作研修館研修作家 卒業
1999年 「むべ陶房」(陶芸教室)主宰
個展
1992年
 ~1996年
画廊みやざき(大阪)
1994年
 ~2013年
番画廊(大阪)隔年開催
1998年
 ~2013年
ギャラリーえびはら(姫路)3年ごとに開催
2019年
 ~2014年
The 14thmoon Gallery(大阪)
2013年 Galerie Punto(加古川)         その他個展多数
グループ展・公募展
1992年
2011年
国際陶磁器フェスティバル美濃 入選
1995年
1997年
1999年
長三賞展 入選 
99年入賞
1995年 世界・焱の博覧会「ストリート・ファニチャー」展入賞
2014年 秘仏×現代アート神積寺(福崎町)、「陶芸現象」展(茨木県立陶芸美術館)
その他グループ展・公募展入選多数


みょうちん   むねひろ
明珍 宗裕(刀工)
 姫路藩酒井家のお抱え甲冑師として活躍した伝統をもつ姫路明珍家の家系に次男として生まれ、父は現当主・明珍宗理氏である。幼いときから父の鍛冶場を手伝い、鉄と向き合ってきた宗裕氏は、大学卒業後、広島県庄原市の刀工・久保善博氏に入門し鍛冶として本格的に取り組み始めた。
 平成17年に独立し、姫路市夢前町に自らの鍛刀場を開き独立。以後、数々の受賞を重ねてきている。とくに新作日本刀・刀職技術展覧会(日本刀文化振興協会主催)の第3回および第5回において二度の最高賞となる経済産業大臣賞に輝いており、国内でも極めて高い評価を得ている刀工の一人である。
 美術刀剣に関する組織である姫路しらさぎ刀剣会会員であり、数多くの古刀を目にすることで自らの技術の研鑽に努めている。
  また、地元での銘切り体験教室の開催や鍛刀場の公開など、美術工芸品としての日本刀技術の保存・啓蒙にも尽力している。


1943年(昭和18年)6月1日生 姫路市網干区坂出在住
略歴
1943年 長野県中野市に生まれる
1962年 東京都葛飾区医師会付属準看護婦学校 卒業
1964年 愛知県立高等看護学校 卒業
1970年 毎日新聞・女の道欄に「悲し、看取りの道」掲載(香川県高松市)
1982年 マリア病院勤務
1988年 朝日新聞・ひととき欄「冥土の土産に瀬戸大橋見物」掲載
1990年~
 1995年
姫路定住促進センターでベトナム戦犠牲者の健康管理           ドキュメンター「運命の子」
1990年~
 1999年
カトリック雑誌「聖火」にナースエッセイ連載
2003年 朝日新聞・ひととき欄に「新しい友だち」掲載
2008年 朝日新聞・ひととき欄に「新しい友だち」掲載
2010年 朝日新聞・ひととき欄に「100歳超えても感性キラリ」掲載
2012年 カトリック月刊誌「聖母の騎士」誌に巡礼記「元和の殉教者、副者・リシャール神父のふるさとを訪ねて」掲載
2015年 姫路文学129号に「リビング・ウィル(上)」出稿

※50歳より現在まで、西播地区市町で「老人介護問題」「生まれ出るいのちの不思議さと・生と死の意味について」講演活動