受賞者プロフィール
姫路文化賞
にしむら きょうこ
西村 恭子(児童文学)
 児童文学を中心に、作家として優れた作品を発表してきた西村恭子さんは、また多方面にわたる多彩な文化活動でも注目される。
 児童文学作品には、『霧の協奏曲』(1944年・PHP研究所)、『しあわせのブレスレット』(1991年・偕成社)、『しあわせ畑のクローバー』(1992年・PHP研究所)、『ブルータートル』(1995年・PHP研究所)、『空をとんだケヤキの木』(2010年)などがある。いずれも、困難に立ち向かいながら、周りの人たちとともにひたむきに生き、人との絆と命の流れを育み成長していく主人公たちの感動に満ちた物語である。その他、戯曲『フレンドシップパスポート』『水のことのは』などの著書もある。
 さらに活動は、放送劇団・ミニコミ紙・雑誌の編集発行・地域のイベントにもおよび、姫路市の季刊分化誌「バンカル」編集委員、神戸新聞読者文芸欄(児童文学)選者、童話作家・森はなさんの顕彰活動、加古川市文化財審議委員などを務めてきた。また高砂市の巨樹ケヤキの保存活動では4回のパンの笛コンサートを開催。さらに岩手県陸前高田市の「高田松原を守る会」と連携し、2012年6月に鎮魂「風のコンサート」を5カ所で企画・開催して大震災の支援に奔走された。
 こうして主婦としての座を全うしつつ、長年にわたって文学・文化の創造に励み、社会に尽くされた貢献には著しいものがある。

 
 
1944(昭和19)年8月2日生まれ 加古川市在住

・放送局、新聞、ミニコミ誌の編集記者を経てフリーに
・近年はジャンルにとらわれず、コンサートや回顧展などの企画活動もおこなう
神戸新聞読者文芸欄選者を14年間つとめ、現在、KCCミント神戸の児童文学  講座講師
姫路市文化国際交流財団発行季刊誌「バンカル」編集委員
・加古川市文化財審議委員
日本ペンクラブ会員
著書

児童文学
1990年 アンソロジー『しあわせのブレスレット』 偕成社
1992年 『しあわせ畑のクローバー』 PHP研究所
1994年 『霧の協奏曲』 PHP研究所
1995年 『ブルータートル』 PHP研究所
1999年 アンソロジー『お盆トンボが飛んだ日』 リブリオ出版
2010年 写真絵本『空をとんだケヤキの木』
一般書
2002年 『水のことのは』 幻冬舎 
『失われた風景を歩く』 神戸新聞出版センター(共著)
2007年 『兵庫の不思議辞典』 新人物往来社(共著)
戯曲 『フレンドシップ パスポート~友情は時代と海を越えて』


受賞歴 兵庫県半どんの会文化賞 季刊誌「バンカル」編集部として姫路文化賞
やまさき  ゆか
山﨑 由佳(洋画)
 「結界」と題名のついた120号もの大作が並んでいる。薄墨を流したような淡いグレーの色面が目をひく。パステルをくり返し塗りこんで生まれた独特のマチエール。何層にも重ねられた絵の具の層からその後ろにあるものね生き抜いてきた時間と今を生きようとする力が伝わってくる。
 山﨑さんは大学時代、恩師の上野省策先生に薦められて自由美術展に出品し入選している。以来47年間、自由美術協会での活動を自分の作品を鍛える道場のような場所として制作をつづけてきた。また、自分の仕事を着実に推し進めるために、数えきれないほどの個展を開き、積極的にグループ展で作品を発表してきた。
 そんななか、大きな転機があった。
 両親の介護に明け暮れる毎日、そして父の死。介護生活とは人の生死を見続けることだった……山崎さんはギリギリのところで生き抜き、そして死を受け容れた。
 このような状況のなかで「結界」というテーマが生まれた。そして山﨑さんは独自の作風をつくりあげていった。
 ところで山﨑さんの一日は散歩からはじまる。この20年間、風の日も雨の日も、1年が365日とすれば360日、スケッチブックを片手に同じ道を歩いている。この2時間あまりの散歩は、山﨑さんにとって生きている喜びつよく実感できる大切な時間であり、そのトキノスケッチの積み上げが作品に力を与えている。
 ひたむきな山﨑さんはあまり人前に出ることを好まないが、多くの人が山﨑さんを慕い、生きざまや作品からたくさんの刺激や励ましを受けている。



1943(昭和18)年8月9日生まれ 赤穂市在住

 
1966 神戸大学教育学部美術科卒 
大学4年より自由美術展に出品 以降毎年出品
1967 神戸にて初個展 以後、姫路・神戸・大阪・京都を中心に個展・グループ展で作品を発表
1985 自由美術協会会員
2002 「結界」をテーマに制作に取り組む
2012 10月、「ルネッサンス・スクエア」で自由美術4人展 
11月、「ギャラリー池川」で個展


文化功労賞
                            
くろだ ごんだい
黒田 権大(平和の語りべ)
 黒田権大氏は1929年、夢前町に生まれ、第二次大戦中の姫路空襲の状況を語りつづけている。
 幼時に姫路市東延末に移り、その地で1945年7月3日夜、二回目の姫路大空襲に遭遇した。燃えさかる飾磨街道から逃れ、手柄近くの田んぼの溝で伏せていたとき、50センチ前の水田に焼夷弾が落ちた。市民500人以上が空襲の犠牲となり、黒田さんも家を焼かれ、祖父母を亡くした。
 この惨事を忘れてはならないと、黒川録朗さんや古知正子さんらによって「姫路空襲を語りつぐ会」が結成され、黒田さんも当初から参加した。1989年からは22年間、「姫路市戦災遺族会」の会長をつとめた。その間、二十数年にわたり戦争の愚かさと空襲の惨状を伝える「語りべ」として播州各地をまわり、小・中・高校生のほか教職員組合、各種団体の会合、平和資料館などで、延べ200回以上の講演をおこなった。
 そのほか柴田光明さんらと「戦争体験を語りつぐ会」を2005年から年一回のペースで継続、自身も発表をした。
 
このような地道で継続的な活動が黒田さんの真骨頂であり、右傾化する社会にたいする大きな警鐘である。
 



1929(昭和4)年生まれ  姫路市在住  

1929 夢前町新庄で生まれる
1953 姫路南高校教諭
1967 姫路東高校教諭
1980 龍野高校教諭
1988 賢明女子短期大学講師(7年間)
1989 藤森看護専門学校講師(16年間)
2006年 姫路歯科衛生専門学校講師(4年間)

1989年から22年間 姫路市戦災遺族会会長
1990年から現在まで 昭和の戦争と姫路空襲の語りべ活動を、学校・平和資料館・公民館などで約200回実施
2010年 姫路市社会福祉大会でゴールド顕彰を受賞

 

                 
ひらぐし もとこ
平櫛 素子(バレエ)
 昭和17年広島県世羅郡に生まれた平櫛素子、本名井上素子さんは、小学4年生のとき福山市松永の伯母の家に遊びにいき、そこで平櫛安子バレエ教室を1ケ月間体験した。その後中学2年生の1年間、尾道の教室に通ったが、難関の高校を受験するたけ教室をやめた。世羅高校に入学後、バレエ好きが昂じて舞踊部を創設。活動するうちに思い余って平櫛安子先生に手紙を書く。素質を見抜いていた先生から返事がきて、平櫛家に住み込んで通学することになった。高2の4月に福山高校へ転校、掃除・洗濯・家事全般をしながらバレエのレッスンに励み、土日には代稽古もつとめた。
 高校卒業と同時に平櫛カンパニーのメンバーとなってステージに立ち、平櫛バレエを代表する一員となった。
 昭和42年「平櫛バレエスクール姫路教室」を姫路駅前OSビルに開校し、17名の生徒から出発。姫路を選んだ理由は、祖父母が姫路市的形の出身だったから。3年後「平櫛バレエ教室姫路」と改めて独立したが、しばらくは福山から通った。
 本家のバレエ団は文部省芸術祭参加作品に選ばれ、どの作品にも出演して、芸術祭優秀賞を受賞。姫路に転居すると「平櫛素子バレエスタジオ」を開設した。
 姫路に平櫛バレエ教室が生まれてから今年で45年になる。その間、日本を代表する多くのダンサーを指導した。
 現在、姫路クラシック&モダンダンスグループの代表としても、夫の井上剛司さん、子息の素志さんとともに後進の育成に情熱をそそいでいる。


1942(昭和17)年生まれ 姫路市在住

1950年 平櫛安子に師事
1962年 第17回文部省芸術祭参加作品に出演(東京厚生年金会館)
1966年 第21回文部省芸術祭参加作品に出演(東京都市センターホール)
1967年 平櫛バレエスクール姫路教室(指導担当者)をOS文化ホールに開校
1970 平櫛素子バレエ教室として独立
1973年 第28回文部省芸術祭参加作品に出演(東京メルパルクホール)
1976年 第31回文部省芸術祭参加作品「六如」に出演 芸術祭優秀賞を受賞
1979年 平櫛バレエ姫路と改める
1980年 平櫛素子バレエスタジオを開校(姫路市田寺東4丁目)
2002年 姫路市芸術文化賞(第24回)文化賞受賞
    

平櫛バレエ姫路出身のダンサー
佐藤知子 大阪でカンパニーを主宰し、世界的な振付家のもとでダンサーとして活躍中
井上素志 平櫛バレエ姫路に所属し、関西方面でダンサーとして活躍中
貝川鐡夫 新国立劇場バレエ団に所属し、フアーストソリストとして活躍中
姫路市芸術文化賞(第34回)芸術文化奨励賞受賞
瀬川哲司 元グランディーバ・バレエ団唯一の日本人ダンサーとして世界で活躍、現在は指導者を目指す
姫路市芸術文化賞(第31回)芸術文化奨励賞受賞

 

黒川録朗賞
       
たいこしゅうだん いってき
太鼓集団「一擲」(太鼓)
 太鼓集団「一擲」は、1987年、民謡集団「鯱」の太鼓教室1期生を修了したメンバーを中心に、姫路市網干区興浜地域に根ざした太鼓集団として結成された。
 地元の若者を中心に、地域おこしの一環として、保育園・幼稚園・小・中・高校や、老人ホームなどの福祉施設への訪問をおこない、祭りや盆踊りなど各種行事に積極的に参加し、腕を磨いている。
 また姫路城のお花見太鼓、観月会や、観光キャンペーン等の各種イベントにも引っ張りだこで、オーストラリアの姉妹都市アデレード市の訪問など海外公演も成功させ、姫路を代表する太鼓集団に成長した。
 「鯱」の姫山太鼓を、網干津の宮の太鼓のリズム「チョーサー」を取り入れて新しく姫山一擲太鼓にアレンジしたり、創作太鼓にも挑戦し、「一擲カラー」を確立している。
 2012年9月1日、創立25周年の記念演奏会を、民謡集団「鯱」(創設35周年)とのジョイントコンサートとして開催、姫路市文化センター小ホールを超満員にし、エネルギッシュな演奏で好評を博した。
 また20年以上、地元の子どもたちや地域の人びとへの太鼓指導をつづけながら、地元に愛される太鼓集団として、年間約40回の演奏活動を実施、幅広く活躍している。



     結成  1987年
代表   河北文夫



               
 おち けいたろう
越智 圭太郎(金工)

越智圭太郎さんが作品制作に使う道具は糸鋸・鑢・金槌などとてもシンプル
 アクセサリー等を制作するうえで機械工具を使うのが当たり前の時代に、愚直なまでに手仕事にこだわり、時間を惜しまず丁寧な仕事をする職人気質な作家である。。
 技法はさまざまで、江戸時代に日本で生まれた木目金(もくめがね 杢目鋼)や切嵌象眼、打ち込み象眼などの伝統工芸の技を使って装身具を制作。また近年は音玉や煙管等の道具ものにも情熱を傾けており、煙管を主とした展示に金工作家としての方向性がうかがえる。
 2012年には伝統工芸日本金工展に初出品ながら入選。小さな作品ながら切嵌象眼の技術を駆使した音玉は美しい音色を奏でた。18年のキャリアで培われた技術と豊かな感性が融合されて生み出されたモノは、用の美として愛されつづけることだろう。 

1976(昭和51)年7月28日生まれ  姫路市在住 

2001 姫路工業大学工学部卒業
1994年ごろから独学で彫金をはじめ、2006年ごろから日本の伝統技法に傾倒
2012 伝統工芸日本金工展 入選



                
なかい まあさ
中居 真麻(小説)

京都精華大学芸術学部にて版画を学んでいた19歳のとき、旅先の四国で小説に目覚め、卒業後も旅館の仲居や事務の仕事をしながら小説家を目指した。
 中居調とでもいうべき若者コトバと方言が入り混じった独特の文体で、今ドキの若者や、そのまわりにつどう人びとを活写しており、クールな視点を忘れないその人物描写は、卓越した技量を感じさせる。
 2003年には長編『バニラと果実』で第85回コスモス文学新人賞を受賞。宝島社主催の「日本ラブストーリー大賞」には第1回から応募をつづけ、常に二次選考、最終選考に残ってその実力を示した。2009年には第2回で最終選考に残った『ハナビ』が出版され、その新しい感覚は若者を中心に多くの人々に支持された。
 2011年「第6回日本ラブストーリー大賞」の大賞を受賞。受賞作『恋なんて贅沢が私に落ちてくるのだろうか?』は、柴門ふみ、石田衣良両氏が高く評価、読者からも好評で、佐々木希主演でテレビドラマ化もされた。
 2012年6月に、自身の古書店勤めでの経験をヒントに『私は古書店勤めの退屈な女』を、つづいて10月には『恋ベタだからって嘆いているのはもったいない』を出版。一作ごとに新しい表現方法を模索しながら精力的に執筆をつづけている。
 新聞コラムやラジオ出演など活躍の場もますますひろがり、今後も大きく期待される非凡な才能をもった小説家である。
 

1982(昭和57)年11月27日生まれ 京都精華大学芸術学部卒業 
姫路市在住 
 

著書 
2009  『ハナビ』 宝島社
2011 『恋なんて贅沢が私に落ちてくるのだろうか?』 宝島社
2012 『私は古書店勤めの退屈な女』 宝島社
『恋ベタだからって嘆いているのはもったいない』 宝島社
受賞歴
2003 第85回コスモス文学新人賞
2011 第6回日本ラブストーリー大賞

にしやま      み
西山 まい美(染織)

九州産業大学芸術学部デザイン科卒業後、姫路に帰り、市展・県展・兵庫県工芸芸術作家協会展等に出品し、入賞、入選、地元でも制作活動をはじめる。
 指導者としては県立高校の美術講師を6年間つとめ、(有)総合美術企画 姫路美術進学研究所で、美術・工芸を目指す大学進学指導に長く(1989~2007年)たずさわった。その人柄の魅力もあって教え子たちから信頼をよせられ、交流がつづいている。
 あさご芸術の森「あーとで遊ぼう」では、子どもを対象に2004年から現在にいたるまで絵や工作など感性をひきだす多くの教材を使って、つくる喜びを体験する教室を実践している。
 その間、絶えず意欲的に制作をつづけ、各地で発表。そのうちに、その場かぎりの作品ではなく、長く使える布、気持ち良い布を織りたいという願望がつよくなり、国展、県工芸作家協会展、播磨工芸ビエンナーレなど、作家を意識した織物制作に励み、経験、実践をかさねて、ホテルシーショア御津岬の企画展など、着実な仕事をしている。人望あつく、みなが頼りにする、やさしく一生懸命な人である。

1963年11月7日生まれ  姫路市在住   

1986  九州産業大学芸術学部デザイン科卒業
姫路市美術展 姫路市立美術館賞受賞
1988  (有)総合美術企画 姫路美術進学研究所入社(~2006年)
1990  兵庫工芸展 初入選
1999年  兵庫県立但馬長寿の里『遊戯出会いのあーと展1999』(~2005年)
2004 あさご芸術の森美術館「あーとで遊ぼう」講師 以降毎年
2005  兵庫工芸展 以降毎年入選(2008年県知事賞 2010年奨励賞 2011年会員推挙 ホテルシーショア御津岬 企画展 西山まい美「いつかみた夢」展 
2006 国展 初入選2007年、2009年、2011年)
2009年 第1回播磨工芸ビエンナーレ グランプリ受賞(2011年佳作賞)
2012 播磨工芸美術展 兵庫県展
兵庫県工芸美術作家協会創立50周年記念展 出品予定