受賞者プロフィール
姫路文化賞
    つねよし
木谷典義
 演劇はあらゆる芸術の要素を取り込んでつくられます。舞台の上に立ち、ライトを浴びるのは俳優たちですが、その裏には脚本家や演出家、音楽、照明、衣装、大道具等、多くの人たちが芝居づくりに関わっています。その中でも特に重要な役目を果たしながら、まったく目立つことなく裏方に徹するのが「舞台監督」という仕事です。
 舞台監督は、スタッフやキャストのまとめ役であり、照明、音響、舞台セットづくりなど舞台づくり全体の調整役、トラブル係として演劇公演の最初から最後まで関わります。演劇公演においてたいへん重要な役割を担っているのですが、一般的にはあまり知られていません。
 木谷典義さんは、長年にわたり劇団プロデュースFの劇団員として、そのすべての劇場公演の舞台監督を務め、多大な実績を残されてきました。アトリエ公演においては、舞台美術や照明まで手掛けられています。また市制100周年記念「新・天守物語 ―うわさの女たち―」、(財)姫路市文化振興財団設立10周年記念「鼓の城 ―姫さまたちの姫路城―」では、いずれも100名にも及ぶスタッフ、キャストのまとめ役として公演を大成功に導きました。
 その飾らない人柄から、多くの後輩に慕われ、その中から有能な演劇人も育ってきています。また高校演劇や他劇団の公演への協力など、はりま地域の演劇活動に広く関わってこられました。


略歴 主な舞台監督作品

1980 劇団プロデュース・F公演「自由の彼方で」椎名麟三作・小谷史郎演出で初舞台監督
19815

劇団プロデュース・F第6回公演「虹の中の真帆」白石昭作・井上正利演出

以後、劇団プロデュース・Fの劇場、移動公演の舞台監督を務める

19893 姫路市市制100周年記念、シロトピア演劇協議会合同公演「新・天守物語 ―うわさの女たち―」岩木小夏作・小谷史郎演出
19916 姫路労音例会 ミュージカル「青春の歯草90」
19943 加古川市民会館プロデュース「ミュージカル 戦国播磨異聞 ランナウェイ」
19986月  ()姫路市文化振興財団設立10周年記念「鼓の城―姫さまたちの姫路城―」寺林峻作・茂山千之丞演出
20014 ()姫路市文化振興財団事業・はりま劇団協議会合同公演「二十世紀少年少女読本」作・演出 鄭義信
20059 劇団プロデュース・F アトリエ公演50回記念「そして、僕らはそこで夢を見た」小谷史郎+鄭義信作・鄭義信演出
20089  ()姫路市文化振興財団設立20周年記念・はりま劇団協議会合同公演「映像都市2008―君はそこに映画館があったことをしっていますか―」作・演出 鄭義信

龍野文化振興財団わくわく市民劇場「空に嫁いだおひなさま」浜田多代子作・田中ひでのり演出


コンサート等の舞台監督

星まつりコンサート(岩田健三郎)今年で25回目を迎えている

その他、大道具制作・舞台美術を担当

 



松本 薫
 松本薫さんはいわゆるキネティックアートと呼ばれる動く彫刻の作家です。そのほとんどはステンレス素材を使い電気モーターで動く28メートルの作品が主流ですが、近年は風や人の息を吹きかけることによって動く自然エネルギーを動力にした作品にも取り組んでいます。

「ステンレスは光を反射し、空間を映し出し、色彩を変貌させる創造的な素材です。その彫刻が動くことで、モノが変化していく様子や時間の流れを表現したいと思っています」と作家自身も言うように、トリッキーな予期せぬ動きを創造することに挑戦し、成功を収めています。屋内にしろ野外にしろ、動くことによって見る角度によっても形、見え方が時々刻々と変わってゆくキネティックアートの奥深さと面白みを独自の視点で追求し続けている作家といえましょう。

これまでに現代日本彫刻展や日本国際美術展、宇部や須磨の野外彫刻展など、名だたる展覧会で数えきれない受賞歴を重ねています。また、作品も姫路市や全国各地、海外にもパブリックアートとして多くの作品が設置されており、国際的にも高い評価を受けている作家です。

夢前町に工房を持ち世界的に活躍している松本薫氏は、郷土の誇りです。


略 歴

1952 兵庫県に生まれる
1977 京都インターナショナル美術学校専攻科卒業
1979 1回ヘンリー・ムア大賞展(箱根彫刻の森美術館)にて優秀賞
14回現代日本美術展(東京都/京都市美術館)にて大賞受賞
1982 10回野外彫刻賞受賞(長野)
1989 13回現代日本彫刻展(宇部)にて京都国立美術館賞
神奈川県立近代美術館賞/埼玉県立近代美術館賞
1990年   12回神戸須磨離宮公園現代彫刻展(神戸)にて国立国際美術館賞受賞
1993年  15回姫路市芸術文化賞にて芸術賞受賞
1995 野外彫刻展in多々良木'95(朝来町)にて準大賞受賞
1998年 第9回大阪国際彫刻トリエンナーレ(大阪)にて特別賞
2002  7回「鳳の芸術展」トリエンナーレまくらざき(鹿児島県枕崎市)にて準大賞受賞
2003年

4回桜の森彫刻コンクール(秋田県井川町)2002にて大賞受賞

2007

Sculpture By The Sea Exhibition(シドニー)―オーストラリア―にて 
The Sydney Water Environmental Sculpture Prize受賞

2008

台湾財政部北部国税局新庁舎に設置(桃園)―台湾―


 


文化功労賞
黒田武彦
 「人はどこから来て、どこへ行くのか」人類普遍のテーマを基調に講演がはじまると、会場の聴衆は「宇宙船Kuroda号」の乗客となって旅立っていくのである。講演のうまさに定評があって、国内外に引っ張りだこの人気学者で、その公演数は年聞に100を優に超えている。20年間の兵庫県立西はりま天文台公園勤務の間、延べ数千回の公演数は星の数ほどの聴衆に「宇宙的な人間のあり方」と面白さを伝えている。

 2001年の4月から、西はりま天文台公園の2m望遠鏡計画がスタートしている。光を集める鏡の直径が2mもある望遠鏡は日本国内では最大となり、また公開目的の望遠鏡としては世界最大の大きさになる。ご存知「なゆた」の設置の意義は科学の世界だけにとどまらない。

本年7月には、姫路港発の皆既日食クルーズを企画・運営。乗客は宇宙の神秘を体験した。このような宇宙科学の理解促進は、「宇宙」というテーマでの文化の向上と発展の為の活動と一体のものである。地域住民は世界最高峰の研究施設に触れ、第一線の研究者と対話する機会を与えられ、大いに宇宙と人間の関係に対する興味・関心を深くすることとなった。

また、「入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会」に参加し、「笑顔の輪を広げる」ボランティア活動として、入院患者・障がい者・子どもたちへ芸術のすばらしさを届けた功績も称えたい。今後の「星の話と音楽の夕べ」「花北観望会」「子どものための科学の話」等の活動にも期待したい。 


略 歴

1965 兵庫県立姫路東高等学校卒業
1969 香川大学教育学部卒業
東北大学理学部天文学科研究生修了

1970

大阪市立電気科学館 天文研究室 学芸員
1989年〜2006 兵庫県立西はりま天文台公園 天文台長
1995年〜2003 兵庫県立姫路工業大学理学部 非常勤講師
1998年〜2002 兵庫県立西はりま天文台公園 副園長・天文台長
2002年〜2006

兵庫県立西はりま天文台公園 園長・天文台長

2004年〜現在 兵庫県立大学教授
兵庫県立大学自然・環境科学研究所次長
2006年〜現在 兵庫県立西はりま天文台公園 園長
日本天文学会男女共同参画委員会委員長
ペルーへ天体望遠鏡を贈る会代表
国立天文台広報普及委員会委員

 

著書『宇宙を遊ぶ』(かもがわ出版)、『天文教室I(恒星杜厚生閣)

現代天文学講座第13巻『天体観測セミナー』(恒星杜厚生閣)共著

現代地学教育講座13巻『宇宙・銀河・星』(東海大学出版会)共著

西はりま天文台発『星空散歩』(神戸新聞総合出版センター)共著

カラー版『天文学入門』(岩波ジュニア新書)共著 他

専門 天体物理学(星形成領域の小質量星、塵の観測的研究)

賞誉 国際天文学連合より小惑星に「KURODA」と命名される(天文学の普及に貢献)

ペルー・イカ地方政府よりアブラハム・ヴァルデロマル勲章(偉大な紳士勲章)

(ペルーへの天体望遠鏡寄贈等の貢献)
 


    みつあき
柴田光明
 郷土出身の作家椎名麟三の研究をはじめ哲学者三木清など先人の再評価と顕彰に努めてきた。とりわけ椎名文学の研究については、1993年椎名麟三を語る会」を設立、事務局長として毎年「自由忌」、全国交流集会、読書会を開催し、研究者や愛読者と地元の人たちのパイプ役として地道な活動を展開している。

このような活動が実を結び1997年椎名の戯曲「姫山物語」再演を実現させ、多くの市民に感動を与えた。さらに本年3月、椎名麟三が少年時代を過ごした書写東坂の旧居跡地に念願の「椎名麟三文学碑」を完成させた献身的な情熱と行動力は大いに賞賛される。

また学生時代の体験から戦争忌避の思想を貴き、姫路空襲遺族会、旧制姫路高校同窓会有志、椎名麟三を語る会の有志と共に、2005年から「戦争体験を語り継ぎ平和を考える集い」を開催して、平和希求を生涯の課題として取り組んでいる。

略 歴

1942 旧制姫路高等学校在学中に学徒出陣、姫路陸軍野砲連隊入営
1944 東京大学入学、陸軍航空見習士官
1945年  終戦により復員復学
1948年  東京大学法学部卒業、家事手伝い
1955年  中学校教師となり定年まで勤務
1985年  地方文化誌『オリオン』同人、社会評論を執筆
1993年  「椎名麟三を語る会」設立に尽力、事務局長に就任 1984年発足の椎名麟三を偲ぶ「自由忌」を継承主催
2009年  「椎名麟三文学碑」建立を計画、夢前中学区夢プラン実行委員会はじめ多くの支援者を得て、同年3月、椎名麟三旧居跡地に完成

主たる著作など

1996年会誌『椎名麟三―自由の彼方で』を創刊、現在12号を発刊し、編集主幹

1996年『旧制姫路高等学校 白鷺城下の青春』刊行委員として編集発行

所属 椎名麟三を語る会、姫路文学人会議、三木清研究会、阿部知二研究会

ひめじ読書友の会

受賞歴 2005年姫路市芸術文化賞




黒川録朗賞
大橋ひろ美
 大橋さんは、大分県日田出身。東京でモデルなどの仕事をしたのち、結婚を機に姫路に住む。1993年にギャラリー「と一く」をオープン。以後、自主企画画廊として作家の作品展やワークショップなど、旺盛な活動をおこなっている。

近年はとりわけ布に力をそそぎ、アジアの染織や工芸家の作品を紹介することにつとめている。そのほか絵画教室や朗読会、料理紹介、音楽コンサートなど、活動ジャンルはじつに幅広い。1995年にはアフガニスタン支援展「アフガニスタン絨毯展」をひらき、2000年よりラオスでつくられた手織物を販売する企画展を毎年行う。2006年、ラオスを訪聞、手織物の文様や色合いにたいする興味がいっそう深まる。同年に出版された『ラオスの布をたのしむ』(チャンタソン・インタヴォン著 布楽人双書)にはモデルとして協力。200810月には、アジア16カ国の伝統的な布と身に付け方を紹介した自著『アジアの布を纏う』がアートダイジェストより出版された。そのほか、モデル時代の経験を生かした講演を数多くこなしている。姫路における文化活動として大いに評価でき、今後のいっそうの活躍が楽しみな存在である


略 歴

1960 大分県日田市に生まれる
1980年  尚絅(しょうけい)短期大学食物栄養科卒業
1983年  15回ミス日本グランプリ
NHK「クイズ面白ゼミナール」アシスタント
雑誌「CLASSY」や婦人雑誌の着物のモデルなど
1986年  結婚を機に姫路市在住
1993 ギャラリー「と一く」をオープン。現在は、と一くのオーナーとして絵画や工芸などの作家展を開催。とくに日本やアジアの伝統布を基本にした服飾作品を構成する「布の企画展」に力を入れている
1995 アフガニスタン支援展と題して「アフガニスタン絨毯展」を闘催。アフガニスタン、ガズニ州の「アルベルニ学校」建設を支援
2000年  ラオスの女性支援センター「ホアイホン職業訓練センター」で作られたラオスの織物を販売する企画展を毎年行っている
2006 『ラオスの布を楽しむ』(チャンタソン・インタヴォン著 布楽人双書)にモデルとして協力
2008年  アジア16カ国の伝統的な布と身に付け方の本、題名『アジアの布を纏う』をアートダイジェストより出版
2009 3月 東京 丸善 丸の内本店での出版記念展覧会 5月 丸善岡山店 6月 姫路市書写の里美術工芸館 7月 丸善福岡店にて展覧会を開催

そのほか、学校関係や高齢者施設などで「美しいウォーキング」「メイクアップ講座」「スカーフのおしゃれ」「アジアの布の使いこなし」「カラーコーディネイト講座」などを行っている。



    たまこ
園田珠子

園田さんの絵はいつもさりげない。この人は、上手下手などということに興味はなさそうだ。テクニックを駆使して描くよりも、園田さんには絵を介して伝えたいことがあって、必要以上の絵づくりをする気など端からないようだ。そのせいか、その絵は物質感が希薄で、淡く透過性をもった皮膜に描かれているようにみえる。全てを語ることができるなどとは思っていない。薄い膜の一枚いちまいが園田さんの日々の断片なのだろう。そこからは形にならないつぶやきや小さな音が、金魚鉢の底から浮かび上がるあぶくのように生まれては消えてゆく。その絵を眺めていると、「私も同じようなことを感じているよ」といいたくなってくる。そこには私たちの暮らす世界が寓意として描かれているからなのだろう。

園田さんは絵を独習で描きはじめ、美術家・濱田龍さんに出会ってその指導を受けてきた。これまでの作品の発表は主に姫路と大阪での個展によるが、昨年の12月、イーグレ姫路の市民ギャラリーで開催された個展『金魚』は、近年の主だった作品が再構成された展覧会で印象深かった。
 描くことを生活の一部として成立させてきたこの人のメッセージを、今後も静かに聴き続けたい。

略 歴

1968 姫路市に生まれる
普通科高校卒業後、看護専門学校入学
卒業後、市内の総合病院に看護師として勤務、現在に至る
1991年  濱田龍氏に師事
1997年  初個展こ一まギャラリー(姫路)
2000年  個展同上
2001年  個展同上
2002年  個展信濃橋画廊(大阪)
2003年  個展同上
3人展 姫路市民ギャラリー 姫路市立美術館主催
2004年  個展こ一まギャラリー(姫路)
個展信濃橋画廊(大阪)
―以降信濃橋画廊では毎年発表(2009年も6月発表)
2008年  画集(金魚―KINGYOpicture Book of Tamako Sonoda)発表
2009  個展姫路市民ギャラリー(姫路)


    あつこ
松本温子

松本温子さんの5年続いている「歌とピアノのコンサート」を拝聴し彼女の歌心を大いに感じた。

声楽家としてはまだ完成された域には至っていないが、年毎に声楽、歌曲の世界を深く探し求め続け、より完成度を高めている。

彼女は小柄ながら、舞台に立ち歌い始めると、その存在は大きくなり、観客をコンサートのルツボに引き込んでゆく。歌を聴かせる、また歌を楽しませる、どんな楽しい世界に連れていってくれるのかなとそんな期待感を持たせるコンサートに仕上がってゆく。

歌そのものを理解し、どのように表現すればいいのかを追求している。

コンサートは難しすぎてもいけない。ステージと観客とが良い形で共存していなければコンサートは成功したとはいえない。芸術は人生そのもの。今の自分をどう訴えるかである。
 いろいろな場所で年間かなりの数のミニコンサートを企画、実行している松本温子さんのますますの成長を期待します。



略 歴

1969年  姫路市に生まれる
1991年 大阪音楽大学在学中にコーラスグループ「ブーケ」を結成東京、名古屋、大阪、神戸など全国各地のイベントやコンサートに出演
たつの市での第9回目本童謡音楽祭において最優秀歌唱賞受賞
ニューヨーク国連本部、北京にてコンサート出演
1992年  大阪音楽大学音楽学部声楽科卒業
1993年  武庫川女子大学専攻科声楽専攻修了
井上敏典、林裕美子、畑義文、益子明美、御守操の各氏に師事
地元小学校にて教鞭を執る
1995年  姫路や神戸、西宮、大阪などの関西各地で、歌曲を中心としたコンサートに数多く出演し、現在、その出演数はますます増えている。
1996年  姫路骨髄バンク推進センター5周年記念「チャリティーコンサート」にソリストとして出演。
2004年  姫路キャスパホールにて「松本温子“歌とピアノのコンサート”」を開催。以後、毎年開催している。
2005年  日本テレマン協会主催の「メサイア1」にてソリスト
2009年  憲法を守るはりま集会で合唱団「希望」のソリスト

日本テレマン室内合唱団員


山田正春

現在、姫路に在って最もファンの多い魅力的な実力作家と言えば、この人。

かって、夜は白銀町でジャズ喫茶「ジョージ・アダムス」を経営しながら、昼はハウス栽培の農園でアルバイト。その間も、『山田正春作品集』12巻を出し、毎日新聞播磨版のコラム「狭間」執筆陣の一人となるなど、片時もペンを離すことはなかった。

同人誌『播火』の代表的作家。小説一筋。

飽くことのない創作意欲、滞ることのない筆カ、独特の言いまわしと文体で創出するその文学世界は、年とともに個性的にして人の情愛熱いヒューマニズムに満ち、現実と理想の狭間で揺れ動く人々を勇気をもって愛しく見つめる杜会派的視野をいよいよ深めつつある。舞台は、目本の片隅における人間模様から中東の果てしなきアラブ紛争まで。果敢な挑戦と腕カである。

「地上文学賞」佳作賞、「神戸ナビール文学賞」佳作賞、今年度の「エルマール文学賞」侯補と、すでに作家としての評価は定着していると言っていいだろう。今後に期待を集めるトップバッターの一人である。

誠実な生活者は「書き続ければ作家」と言い切る。頭、もじゃもじゃ。一見、ぶっきらぼう。決してハンサムではないが、天性、読者に何となくハンサムと思わせ、そこはかとなく〈人への慕情〉を抱かせる、粋なムードを持つ。

略 歴

1948年  兵庫県に生まれる
1967年  兵庫県立姫路東高等学校卒業

ジャズ喫茶「タロー」、ジャズバー「ジョージ・アダムス」経営等、各種職業転々

現在、ガソリンスタンド勤務

文芸同人誌『播火』同人

地上文学賞佳作賞。平成13年度神戸ナビール文学賞佳作

著作『山田正春創作集』1〜12